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Q & Areal estate

○ 義務違反(過失)とは、どのような判断ですか。
義務違反(過失)には、「診療行為自体の注意義務違反」と「説明義務違反」があります。
「診療行為自体の注意義務違反」を認定するためには、具体的な結果(損害)に対する予見可能性と結果の回避義務が必要とされています。そして、回避義務の前提として、回避可能性があることが必要とされています。これらの要件は、具体的な事実を認定し、医学知見に基づく臨床医学の実践的な医療水準に照らして、判断されます(最高裁昭57年3月30日判決)。
医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものですから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない、とされています(最高裁平成8年1月23日判決)。
このように、注意義務は、「一般人の医療に対する期待」と「医療側の事情」との間で、裁判所が、法的な観点(損害賠償を認めるのが法的に相当か)から認定します。
注意義務違反(過失)について立証できない場合は、損害賠償は認められません。
また、注意義務違反(過失)があっても、因果関係がない場合は、損害賠償は認められません。
以下、最高裁判決に従い、詳しく説明します。

1 最判昭36年2月16日

最判昭36年2月16日(民集15巻2号244頁、東大輸血梅毒事件)は、次のとおり判示しました。
「注意義務の存否は、もともと法的判断によって決定さるべき事項であって、仮に所論のような慣行が行なわれていたとしても、それはただ過失の軽重及びその度合を判定するについて参酌さるべき事項であるにとどまり、そのことの故に直ちに注意義務が否定さるべきいわれはない」、「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのは、やむを得ないところといわざるを得ない」
この最判昭36年2月16日が判示した、@注意義務の存否は、もともと法的判断によって決定さるべき事項である、A医療慣行故に注意義務が否定されるいわれはない、B医業に従事する者は、その業務の性質に照らし危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を負う、という3点は、医療過誤に基づく損害賠償請求訴訟における注意意義の判断基準を示したものとして重要です。
すなわち、刑事処罰において、非難可能性は本質的な要件です。刑事事件の注意義務違反(過失)は、非難可能性と深く結びついています。刑事事件の過失は、予見義務があること(予見可能性の存在)と結果回避義務があること(結果回避可能性の存在)が要件であり、注意義務違反(予見義務・回避義務の違反)があることで非難が可能となるからです。
これに対し、債務不履行等の民事の損害賠償法では、非難可能性は問題になりません。
民事の損害賠償法の注意義務違反(過失)は、損害が発生したときにその損害を誰が負担すべきかを調整するために要件とされたので、民事の損害賠償法では、過失と無過失の線引きは、非難可能性ではなく、損害の公平な負担の観点からなされます。注意義務の存否(過失の存否)は損害の公平な負担の観点からなされる法的判断(規範的判断)です。「注意義務の存否は、もともと法的判断によって決定さるべき事項」です。
医師の間では従来給血者が信頼するに足る血清反応陰性の検査証明書や健康診断及び血液検査を経たことを証する血液斡旋所の会員証等を持参するときは問診を省略する慣行が行われていたのであり、過失責任の原則を徹底すれば、医師がこの慣行に従っていたことから注意義務違反とはならない、という結論も可能だったはずです、ところが、この最判昭36年2月16日は、そのような考え方をとらず、「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのは、やむを得ない」と判断し、慣行に従っても注意義務違反は否定されないとしました。それは、損害の公平な負担の観点から、医療過誤における過失の具体的判断にあたり、人の生命及び健康を管理すべき業務の性質を重視し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務が課せられているとしたからです。

2 最判昭57年3月30日

その後、最判昭57年3月30日(集民135号563頁、民集36巻3号501頁、未熟児網膜症高山日赤事件)は、以下のとおり、「人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが(最高裁昭和31年(オ)第1065号同36年3月16日第一小法廷判決・民集15巻2号244頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。」と判示しました。
この最判昭57年3月30日は、最判昭36年2月16日を踏襲し、「実験上必要とされる」を「臨床医学の実践」と言い換え、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」が注意義務を判断する基準であることを示しました。

3 最判平7年6月9日

最判平7年6月9日(民集49巻6号1499頁・判タ883号92頁・判時1537号3頁、未熟児網膜症姫路日赤病院事件)は、以下のとおり判示しました。
「当該疾病の専門的研究者の間でその有効性と安全性が是認された新規の治療法が普及するには一定の時間を要し、医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性、医師の専門分野等によってその普及に要する時間に差異があり、その知見の普及に要する時間と実施のための技術・設備等の普及に要する時間との間にも差異があるのが通例であり、また、当事者もこのような事情を前提にして診療契約の締結に至るのである、したがって、ある新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては、当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右の事情を捨象して、すべての医療機関について診療契約に基づき要求される医療水準を一律に解するのは相当でない、そして、新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準であるというべきである、そこで、当該医療機関としてはその履行補助者である医師等に右知見を獲得させておくべきであって、仮に、履行補助者である医師等が右知見を有しなかったために、右医療機関が右治療法を実施せず、又は実施可能な他の医療機関に転医をさせるなど適切な措置を採らなかったために患者に損害を与えた場合には、当該医療機関は、診療契約に基づく債務不履行責任を負うものというべきである、また、新規の治療法実施のための技術・設備等についても同様であって、当該医療機関が予算上の制約等の事情によりその実施のための技術・設備等を有しない場合には、右医療機関は、これを有する他の医療機関に転医をさせるなど適切な措置を採るべき義務がある。」
この最判平7年6月9日は、医療機関の性格を勘案し、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準であることを示したものです。

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