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下級審医療判例real estate

名古屋地判平21.6.24
                    主   文
1 被告は,原告Aに対し,9853万1901円及びこれに対する平成11年9月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告B及び原告Cに対し,各162万円及びこれに対する平成11年9月6日から支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
3 原告らのその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,これを3分し,その2を被告の負担とし,その1を原告らの負担とする。
5 この判決は,第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。ただし,被告が原告Aに対し5800万円,原告Bに対し100万円,原告Cに対し100万円の担保をそれぞれ供するときは,その仮執行を免れることができる。

                    事実及び理由
(略)

第3 争点に対する当裁判所の判断
1 本件の診療経過について
前記前提事実に加え,証拠(甲A1ないし3,甲B1,11,乙A1ないし13,乙B7,12,16,20,26,27,29の1,30の1,証人E准看護師,証人F准看護師,原告C本人)及び弁論の全趣旨によれば,本件の診療経過について,以下の事実が認められる。なお,上記証拠のうち,以下の認定に反する部分については採用しない。
(1) 原告Cの妊娠経過
原告Cは,平成11年1月13日,D病院を受診したところ,妊娠中であり,分娩予定日は同年9月4日と診断された。その後,原告Cは,同年2月10日から同年9月3日までD病院に定期的に通院した。原告Cは,妊娠経過において,貧血はなく,血圧は収縮期圧93〜105oHg,拡張期圧57〜68oHgと正常範囲内であり,尿糖・尿蛋白は陰性であり,胎児の発育・羊水量も正常とされる等,特段の異常は認められなかった。
(2) D病院への入院
ア原告Cは,平成11年9月6日午前2時30分ころから10分間隔の陣痛が現れたことから,午前3時55分,D病院を受診した。同日において,原告Cの妊娠週数は40週2日であった。受診時,D病院では,分娩監視が必要な入院患者はおらず,また,正看護師,E准看護師,F准看護師,看護助手の4名が産婦人科の夜勤帯の当直勤務に当たっており,当直看護師が分娩,新生児のケア,入院患者のナースコール等に対応することとしていた。当直勤務に当たっていたE准看護師は,処置室で原告Cを内診し,陣痛の間隔が5〜10分,陣痛発作の継続が30秒,子宮口の開大度が1〜2p,胎児下降度(ステーション)が−2,子宮頸部展退度が80%,破水はなく,性器出血もなく,ドップラーで聴取した胎児心拍音も正常である等,特段の異常を認めなかった。E准看護師は,陣痛が10分間隔で起きていたことから,D病院の基準に従い,原告Cを入院させることとした。
イE准看護師は,午前4時30分ころ,病室へ移った原告Cに分娩監視装置を装着し,ナースステーションのレコーダーでモニター記録の印刷を開始した。午前4時50分ころ,胎児心拍数が徐々に80bpm台まで低下し,約60秒間の変動一過性徐脈が認められたが,基線細変動は正常に保たれており,胎児心拍数の低下から約3分後には130bpmに回復した。その後,午前5時8分ころ,分娩監視装置が外され,分娩監視を終了した。(3) 陣痛室への移動
ア原告Cは,午前5時30分ころ,陣痛室へ移動するよう指示を受けた。原告Cは,陣痛室へ移動した後,分娩監視装置を継続して装着したが,モニター記録の印刷はなされなかった。陣痛室でモニタリングされた胎児心拍数と陣痛の状況は,陣痛室の分娩監視装置から分娩室の分娩監視装置へ送信され,分娩室の分娩監視装置からケーブルで繋がれたナースステーションのモニター上に過去20分間分の記録が表示されるとともに,ナースステーションに設置されたスピーカーから聴取できる状態にあった。なお,分娩監視装置は,電波の受信状況の都合により,時折電波が途切れることがあった。また,陣痛室においては,胎児心拍数のモニター表示はできないが,胎児心拍をスピーカーから聴取することは可能であった。E准看護師が陣痛室へ移動した原告Cを内診すると,子宮口の開大度が2〜3p,胎児下降度が−2,子宮頸部展退度が80%,陣痛発作時に胎胞形成が認められ,少量の出血が確認された。また,E准看護師がナースステーションに戻ったとき,モニター上,胎児心拍数が120bpm台であることが確認できた。E准看護師は,午前6時ころ,分娩担当であったF准看護師に対し,原告Cの引継ぎを行った後,未熟児室担当業務に当たった。
イ引継ぎを受けたF准看護師は,午前6時15分ころ,陣痛室へ訪室し,原告Cの陣痛の間隔が3〜4分,陣痛発作の継続が40〜50秒との所見を確認し,分娩監視装置にて,基線細変動が正常であり,一過性頻脈があり,心音の低下・徐脈がないことを確認した。以後,F准看護師は,ナースステーションのモニター上の表示とスピーカーから聞こえる胎児心拍音
をもとに分娩監視に当たった。なお,他の看護師・准看護師らも,自らの担当業務を行う傍ら,ナースステーションにいるときは胎児心拍音を聴取することが可能であった。分娩担当業務に当たっていたF准看護師は,原告Cの分娩監視と並行して,ナースステーションにおいて,午前7時ころから始まる新生児室での授乳業務に備え,午前6時30分ころから,調整されたミルクを温めたり,哺乳瓶に小分けする等のミルクの準備や,ナースコールの対応,ナースステーションに訪れた患者の対応に当たっていた。
(4) 徐脈の出現
アF准看護師は,午前7時40分ころ,スピーカーから聞こえる胎児心拍音の異常に気付き,胎児心拍数が90bpm台へ下降しているのをナースステーションのモニター上で確認したことから,陣痛室へ訪室した。原告Cは,ベッド上で膝を曲げて上半身を直立させ,小刻みに体を揺らしていたことから,F准看護師は,分娩監視装置の装着位置がずれ,正確に胎児心拍を拾えていないのではないかと考え,分娩監視装置を着け直したが,胎児心拍音を明確に聞き取ることができなかった。そこで,F准看護師は,原告Cを仰向けにさせた上,分娩監視装置の受信状況が悪い可能性等も考慮して,別の分娩監視装置を装着させて胎児心拍を確認したところ,それでも胎児心拍音を明確に聴取することはできなかった。なお,原告Cは,F准看護師が陣痛室へ訪室した際,四つん這いの状態であった旨供述するが,原告Cの供述によれば,当時,原告Cは陣痛の痛みに耐えるので精一杯の状態であり,意識が朦朧としていたことが認められ,F准看護師が陣痛室へ訪室した際の原告Cの姿勢について,原告Cの当時の記憶の正確さに疑問を差し挟む余地があることは否定しがたいから,原告Cの上記供述を採用することはできない。なお,原告Cが,F准看護師が陣痛室へ訪室したときとは別の時点において,四つん這いの状態であったことまで否定するものではない。
イ胎児心拍音を聴取できなかったF准看護師は,そのとき陣痛室に来た看護助手に対し,酸素投与のためのマスクを持ってくること,分娩監視装置のモニター記録を分娩室のレコーダーで印刷すること,当直医のH医師へ連絡すること,E准看護師を応援に呼ぶことを指示した。また,F准看護師が原告Cを内診したところ,子宮口の開大度が6p,胎児下降度が−2,子宮頸部展退度が60〜80%であると認められた。
ウ連絡を受けた当直のH医師は,直ちに陣痛室へ訪室し,分娩室のレコーダーから印刷された分娩監視装置のモニター記録を見たところ,午前7時45分ころから胎児心拍数が70bpm台を持続していることが確認でき,遷延性徐脈と診断した。胎児心拍数を確認したH医師は,午前7時50分ころ,一旦分娩監視装置を外して内診や超音波検査を実施し,子宮口開大度が5〜6p,胎児下降度が−2,胎胞が緊満であり十分な羊水量があること,胎盤早期剥離がないこと,及び,臍帯脱出がないことを確認した後,再び分娩監視装置を装着した。H医師は,原告Aが胎児仮死の状態にあると考えて,午前7時53分ころ,帝王切開を実施することとし,原告Bの母であるKに対して帝王切開の必要性を説明した上で,午前8時ころ,手術室へ入室し,連絡を受けたD病院院長のL医師も加わった上で,緊急帝王切開手術が実施された。
(5) 原告Aの出生
原告Aは,午前8時18分,体重が2696グラム,1分後のアプガースコアが2点の状態で出生した。H医師らは,直ちに気管内挿管,酸素投与等の蘇生措置を開始した。出生時において,胎盤の早期剥離,羊水の混濁,臍帯の脱出・巻絡の各所見は,いずれも認められなかった。H医師は,午前8時28分ころ,臍帯動脈血ガス分析を実施したところ,phが6.889,BE(塩基過剰。0±2mmol/lが正常値であり,代謝性アシドーシスのとき−の値をとる。)が−21.1mmol/lであったため,アシドーシス改善のために,原告Aにメイロン5m?を静注し,その後,さらにメイロン10m?を静注した。午前8時58分ころ,H医師が臍帯動脈血ガス分析を実施したところ,phが7.301,BEが−6.9mmol/lであり,再びメイロンを5m?静注するも,元気さがなく,モロー反射もなかったため,H医師は,原告AをI病院へ搬送することとし,午前9時30分ころ,同病院の医師を乗せた救急車が到着し,原告Aは搬送された。
(6) I病院での診療経過
ア原告Aは,午前10時ころ,同病院新生児集中治療室へ到着し,重症新生児仮死,低酸素性虚血性脳症U〜V度,右側気胸,貧血の各診断を受け,治療が開始された。原告Aは,入院時において,弱いながら対光反射が認められるも,モロー反射はなく,瞳孔はやや散大気味であり,また,痙攣の様な動きが見られ,バタバタと四肢を動かす等やや不穏状態が目立った。
イ原告Aは,平成11年9月11日,脳エコー検査を受けたところ,脳室上衣下出血・脳室内出血はなく,脳室周囲白質軟化症の所見もないものの,大脳白質のエコー輝度が全体的にやや高く,大脳皮質下の低酸素性脳症の可能性があるとの病的所見を指摘され,また,NSE(髄液神経特異性エノラーゼ)検査の結果は40.5ng/m?であり,予後不良群と診断された。同月12日,全身の間代性痙攣が認められた。セルシンを投与しても痙攣は止まらなかったが,時間の経過により消失したので,経過観察とした。また,ペダルこぎの様な動きが見られ,痙攣の可能性が疑われた。同月13日,左下肢にペダルこぎの様な動き及び左上肢にクロールの様な動きが見られ,間欠的に繰り返し出現した。また。同日実施の脳波検査では,痙攣波を疑わせる波形が認められた。同月14日,ペダルこぎの様な動きが出現し,痙攣症状が疑われたが,セルシン・ワコビタールの投与により消失した。また,同日に実施された脳エコー検査では,脳萎縮は認められず,正常であると診断された。同月28日実施の頭部CT検査では,脳実質において,下位髄鞘形成が認められ,出血を疑うような高吸収や正中構造の偏位は認められず,脳脊髄液腔において明らかな拡大や狭小化は認められず,硬膜下腔・硬膜外腔において明らかな液体貯留は認められなかったが,左頭頂葉に低濃度領域が疑われたことから,左頭頂葉について経過観察が必要と診断された。同年10月20日,原告Aは,四肢に痙性が認められ,脳性麻痺が生じる可能性があると診断された。同月31日,原告Aは同病院を退院し,外来受診にて経過観察を継続することとした。同年11月16日,原告Aは,頭部MRI検査を受けたところ,脳実質において,明らかな異常信号域や奇形は認められず,脳脊髄液腔において,両前頭葉周囲・左側頭葉周囲に液体貯留が認められると診断された。
ウ平成14年原告Aは,平成14年,脳性麻痺による歩行困難な体幹機能障害の障害名のもと,身体障害者3級の認定を受けた。
エ平成16年原告Aは,平成16年2月1日,痙攣発作でI病院に入院した。入院時において,左半身不全麻痺を疑うような状態であり,手足をカクカクさせるような発作もあったが,次第に症状が落ち着き,四肢の動きも良くなったため,同日中に退院した。同日実施の頭部CT検査では,明らかな異常所見は指摘されなかった。また,脳波検査では,左側頭部にてんかん発作波の頻発が認められた。原告Aは,同月12日,第1種知的障害者の認定を受けた。同年3月1日実施の頭部MRI検査では,両側視床外側部にT2で高信号,FLAIR法で嚢胞様の周囲に高信号があり,てんかん発作とはおそらく無関係で,新生児期の影響と診断された。原告Aは,同年8月16日,痙攣重積発作でI病院に入院した。痙攣は,全身性強直間代性であり,明らかな左右差は認められなかった。入院後,痙攣が治まったことから,翌17日に退院した。原告Aは,同年10月25日,痙攣重積発作でI病院に再び入院した。翌26日,脳波検査にて,てんかん発作波が認められたが,ほぼ普段通りの状態に戻ったことから退院した。
オ平成17年原告Aは,平成17年8月20日,右半身に間代性痙攣が生じたことから救急車でI病院に来院し,痙攣重積後の意識低下遷延及び呼吸不全のため入院した。救急車内で痙攣は一旦治まったものの,入院後,右上半身に再び間代性痙攣発作が生じたが,ドルミカムの投与により,大きな発作は消失した。その後,血液検査上のデータが改善したことから,同月25日に退院した。
2 争点(1)(本件後遺障害の原因)について
(1) 争点の所在
本件では,原告Aに低酸素性虚血性脳症が生じたこと,その結果として,脳性麻痺が生じたことについて概ね争いはないが,低酸素性虚血性脳症の発症機序について争いがある。そこで,原告Aに生じた低酸素性虚血性脳症の発症機序について検討した上で,本件後遺障害が残った原因について検討する。
(2) 低酸素性虚血性脳症の発生機序
ア低酸素性虚血性脳症の発生
原告Aの出生前後の事情として,@原告Cの妊娠経過において,特段の異常が認められなかったこと,A午前7時45分以降において70bpm台の遷延性徐脈が認められたこと,B原告Aの1分後のアプガースコアが2点であり,臍帯動脈血ガス分析の結果,phが6.889,BEが−21.1mmol/lの代謝性アシドーシスが認められたこと,C搬送先のI病院において,重症新生児仮死及び低酸素性虚血性脳症U〜V度と診断された上,痙攣が生じたことが認められる。上記事情を総合すれば,原告Aは,分娩中において,低酸素性虚血性脳症に陥ったことが認められる。
イ脳の障害部位及び脳性麻痺の型
次に,低酸素性虚血性脳症の発症機序を検討する前提として,原告Aの脳障害部位及び脳性麻痺の型について検討する。証拠(乙A8,12,乙B7,12,27,29の1,30の1)によれば,臨床経過及び頭部MRI検査の結果からみて,原告Aの脳の障害部位は,大脳基底核・視床に存在すること,脳性麻痺の型については,痙直型とアテトーゼ型の混合型のうちアテトーゼ型が優位の型であると認められる。
ウprofound asphyxiaの発生
当事者間において,原告Aが重篤な低酸素状態で出生したことについて概ね争いはないところ,@午前7時45分ころ以降,70bpm台の高度の遷延性徐脈が認められたこと,A原告Aは,出生1分後のアプガースコア
が2点であり,分娩直後に,臍帯動脈血のphが6.889,BEが−21.1mmol/lの重篤な代謝性アシドーシスが認められたことからすれば,原告Aには,profound asphyxiaが生じていたといえる。そして,証拠(乙B12,16,31)によれば,profound asphyxiaの要因として,常位胎盤早期剥離,母体心肺停止・母体ショック・子宮破裂等の母体の要因,臍帯脱出・臍帯巻絡・臍帯圧迫等の臍帯に関する要因等が存在することが認められるところ,本件では,常位胎盤早期剥離等の母体の要因,臍帯脱出・臍帯巻絡の所見は認められない。したがって,原告Aに生じたprofound asphyxiaの要因は,残った要因である臍帯圧迫である可能性が高いというべきである。すなわち,子宮の収縮に伴い,何らかの要因が重なって,臍帯が原告Aの身体と子宮壁との間に挟まれた結果,profound asphyxiaが生じたものと推認される。
エ午前6時15分ころ以降の胎児心拍数の変動
本件では,午前6時15分ころ,徐脈が生じていないことが確認されているが,その後,午前7時45分ころまでの間,分娩監視装置の記録が印刷されていないことから,この間の胎児心拍数の変動について直接的に認識することはできない。もっとも,証人F准看護師によれば,胎児心拍に異常がない場合,陣痛室のスピーカーから,歯切れの良い軽快なリズムで胎児心拍音を聴取できることが認められるところ,午前7時40分ころ,F准看護師が徐脈に気付いて陣痛室を訪室し,分娩監視装置の付け直しや,別の分娩監視装置を装着しても,なお胎児心音を明確に聴き取ることができなかったことからすると,午前7時40分ころ以降,徐脈は改善することなく継続していたというべきであるから,原告Aは,午前7時40分ころにおいて,遷延性徐脈に陥っていたとするのが相当である。そして,本件では臍帯の圧迫が起こったと推認されるところ,臍帯が圧迫されると,臍帯の血流が障害される結果,心拍数の低下を引き起こし,変動一過性徐脈が生じることからすれば,特段の事情のない限り,午前6時15分ころから午前7時40分ころの間のある時点において,変動一過性徐脈が生じ,これが持続した結果,午前7時40分ころの時点では,遷延性徐脈へ移行していたというべきである。
オ上記認定に反する証拠の検討
上記認定に対し,被告は,原告Aの大脳基底核・視床に障害が認められ,大脳動脈支配境界領域梗塞が認められないことから,変動一過性徐脈等の前兆はなく,突如としてprofound asphyxiaが生じ,F准看護師が徐脈に気付いた午前7時40分ころ,遷延性徐脈が認められたと主張する。そこで,被告が上記主張の根拠として提出する意見書等について検討し,上記特段の事情が認められるか否かを判断する。
(ア) M大学N講師の意見書(乙B12)
要旨として,大脳基底核・視床障害は,partial asphyxiaが発生して,その後にprofound asphyxiaが発生する場合だけでなく,突然profoundasphyxiaが発生しても生じるところ,臨床現場では突然profound asphyxiaが発生することが報告されており,その原因としては臍帯脱出や常位胎盤早期剥離等が考えられ,本件においてもpartial asphyxiaが発生しておらず,突然profound asphyxiaが発生した旨が記載されている。しかし,本件においては,臍帯脱出や常位胎盤早期剥離等が生じたとは認められないのであるし,上記意見書は午前7時40分ころまで胎児心拍に何らの異常所見も見られなかったことを前提としているから,本件において突然profound asphyxiaが発生したとする根拠は弱いというべきであり,上記記載内容を直ちに採用することはできない。
(イ) O病院J院長の意見書(乙B16)
要旨として,total asphyxiaが10〜15分継続すれば,大脳基底核・視床障害が生じる旨が記載されている。しかし,上記記載内容は動物実験の結果を根拠とするところ,上記意見書にも記載されているように,動物実験から得られた結果は,その実験動物の種類や個体差によって相違が生じるだけでなく,人間において直ちに妥当するのかも不明と言わざるを得ない。とすれば,上記意見書の記載内容を直ちに採用することはできない。
(ウ) P病院Q医療センターRセンター長の意見書(乙B26)
要旨として,突然profound asphyxiaが生じると大脳基底核・視床障害が認められるが,partial asphyxiaが生じた後にprofound asphyxiaが生じると大脳動脈支配境界領域梗塞も生じるので,大脳動脈支配境界領域梗塞が生じていない本件では,突然profound asphyxiaが生じた旨が記載されている。上記記載内容の具体的根拠は必ずしも明らかではないが,被告の提出する文献(乙B1)にも同旨の記載があるところ,同記載はサルを用いた動物実験の結果を根拠としている。証拠(乙B9)によれば,同動物実験の結果に対しては「, total asphyxiaによりサルの胎児に起きる脳障害のパターンは,人間の周産期損傷に典型的に見られる病理学的変化とは関連がない」旨の指摘や,「人間の新生児の脳の状態と,サルの新生児の脳の状態とは,かなり差異がある」旨の指摘がなされていることが認められる。とすれば,上記意見書の上記記載内容を直ちに採用することはできないというべきである。
(エ) 被告は,羊水が混濁していなかったことも,partial asphyxiaが先行してprofound asphyxiaが生じたものではない根拠として,主張している。しかし,証拠(乙B39)によれば,胎児は低酸素症になると,迷走神経の刺激で腸管の蠕動運動が亢進し,肛門括約筋が弛緩して,胎便を漏出するため,羊水混濁の状態になるとされているが,羊水混濁が生じるメカニズムは十分解明されていないことが認められる。本件では,破水する前に胎児が重度の低酸素症になったことは明らかであるが,羊水は混濁していなかったのであり,低酸素症がどの程度継続すれば羊水が混濁するのかも明らかではない。そうすると,羊水混濁がなかったからといって,partial asphyxiaが先行していないといえるものではない。
(オ) なお,午前7時50分ころにおいて,原告Cは破水しておらず,十分な羊水量が認められたことからすると,羊水は臍帯の圧迫に対する一定の緩衝になり得たというべきであるから,臍帯巻絡の所見も認められない本件において,臍帯脱出が生じた場合のように,臍帯が突如として,急激に圧迫される事態が生じることは,直ちには想定しがたいというべきである。
カ小括
したがって,上記被告の主張を考慮しても,本件において特段の事情を認めることはできないから,本件では,午前6時15分ころから午前7時40分ころの間のある時点において,臍帯の圧迫により変動一過性徐脈が生じ,この臍帯の圧迫が持続し,午前7時40分ころにおいて,既に遷延性徐脈へ移行していた結果として,原告Aは低酸素性虚血性脳症に陥ったものと推認される。
(3) 低酸素性虚血性脳症と脳性麻痺の関係
ア証拠(乙B1,2)によれば,脳性麻痺は,必ずしも低酸素性虚血性脳症に付随する関係にないことが認められ,前記「脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準」(第2の4(1)【原告らの主張】イ(ア))を満たす場合に限り,低酸素性虚血性脳症が脳性麻痺の原因と判断できることに争いはない。そこで,同診断基準に従い,原告Aに生じた低酸素性虚血性脳症が脳性麻痺の原因であるかについて検討する。
(ア) 診断基準A
@ACを満たすことについて,争いはない。Bについて,前記認定のとおり,原告Aは痙直型とアテトーゼ型の混合型脳性麻痺であることからすると,Bを満たすといえる。
(イ) 診断基準Bについて
@について,上記認定のとおり,午前6時15分ころから午前7時40分ころの間において,午前7時45分ころ以降,70bpm台が持続するような遷延性徐脈が持続する程度の臍帯の圧迫が継続していたことからすると,@を満たすといえる。
Aについて,分娩監視装置を装着した午前4時30分ころから午前4時50分ころまでの間,胎児心拍数はreassuringパターンであったといえ,特段の異常は認められないこと,上記認定のとおり,変動一回性徐脈が継続した後に,午前7時40分ころの時点で遷延性徐脈に陥っていたことからすると,Aも満たすといえる。
Bについて,診療録上,5分後のアプガースコアの計測記録は認められないが,1分後のアプガースコアが2点であり,前記認定の診療経過に照らせば,Bも満たすといえる。
Cについて,複数の臓器機能障害の徴候は出生後72時間以内に確認されていないから,Cは満たしていない。
Dについて,平成11年9月11日実施の脳エコー検査の結果,大脳白質のエコー輝度が全体的にやや高く,大脳皮質下の低酸素性脳症の可能性があるとの病的所見を指摘されたことからすると,Dについても満たしているということは可能である。
イ証拠(乙B2)によれば,上記診断基準Aは,その全ての項目を満たすことが必要となるも,上記診断基準Bは,分娩中に脳性麻痺が発生したことを総合的にうかがわせる診断基準であって,その全ての項目を満たす必要はないといえる。そして,上記のとおり,上記診断基準Aについては全項目を満たし,上記診断基準Bについては,Cを除く項目が満たしているか,満たしているということも可能であることからすれば,原告Aは,特段の事情のない限り,「脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準」を満たすというべきであり,特段の事情を認めるに足りる証拠はない。したがって,原告Aに生じた脳性麻痺の原因は,分娩中に見られた低酸素性虚血性脳症であると認められる。
(4) 低酸素性虚血性脳症と本件後遺障害との関係
ア運動障害について
上記認定のとおり,原告Aは,痙直型とアテトーゼ型の混合型の脳性麻痺による運動障害が認められ,また,同脳性麻痺は,分娩中に見られた低酸素性虚血性脳症が原因であることが認められる。したがって,原告Aは,低酸素性虚血性脳症を発症したことにより,運
動障害が残ったことが認められる。
イ知的障害について
知的障害は,脳性麻痺の合併症として発症する場合もあるが,脳性麻痺自体から直接的に生じるものではない。もっとも,知的障害の発症においては,先天的要因を除けば,脳に対する何らかのダメージを受けることが必要というべきである。そして,先天的要因を認めるに足りる証拠はなく,脳にダメージを与える要因としては,低酸素性虚血性脳症が考えられ,その他の要因については,これを認めるに足りる証拠はない。したがって,原告Aは,低酸素性虚血性脳症を発症したことにより,知的障害が残ったことが認められる。
3 争点(2)(注意義務違反の有無)について
(1) 午前4時50分ころにおける注意義務違反
ア本件では,午前4時50分ころ,基線細変動は保たれているが,単発的な変動一過性徐脈が生じたことが認められる。
イ上記徐脈について,原告らは,これを発見したE准看護師に,医師に対し,直ちに上申・相談すべき注意義務があるとともに,厳重な経過観察・分娩監視をすべき注意義務があると主張する。証拠(甲B3)によれば,臍帯圧迫を原因とする変動一過性徐脈は,直ちに胎児の健康状態の悪化を意味するものではなく,それが反復して生じる場合に,胎児の健康状態の悪化が推認されることが認められる。だとすれば,単発的な変動一過性徐脈を発見した准看護師としては,分娩監視を継続し,変動一過性徐脈が反復しないか経過観察を続ければ足りるというべきであり,直ちに医師に上申・相談する注意義務までは認められない。本件についてこれをみると,E准看護師は,上記徐脈について,医師に上申・相談していないが,それは注意義務違反を構成するものではない。また,E准看護師は,原告Cを陣痛室へ移し,分娩監視装置を持続的に装着させ,分娩監視を継続したことからすると,分娩監視義務を果たしているというべきである。
ウまた,原告らは,上記徐脈について,医師の注意義務違反をも主張しているが,同主張は准看護師による上申・相談がなされたことを前提としたものであって,同主張はその前提を欠くものである。
エ小括
したがって,午前4時50分ころにおける注意義務違反は認められない。
(2) 午前6時15分ころ以降における注意義務違反
ア本件では,前記2(2)エ認定のとおり,午前6時15分ころから午前7時40分ころの間のある時点において,臍帯の圧迫により変動一過性徐脈が生じ,この臍帯の圧迫が持続し,午前7時40分ころにおいては,既に遷延性徐脈が生じていたものと認められる。
イ上記徐脈について,原告らは,F准看護師に,医師に対し,直ちに上申・相談すべき注意義務があるとともに,厳重な経過観察・分娩監視をすべき注意義務があると主張する。本件では,午前7時40分ころに既に遷延性徐脈へ移行していたところ,それに至る前の段階として,午前6時15分ころから午前7時40分ころの間のある時点に,変動一過性徐脈が生じ,持続・反復していたというべきであるから,その時点において,分娩監視に当たっていたF准看護師は,医師に対して上申・相談すべき注意義務があったというべきである。本件についてこれをみると,F准看護師は,午前7時40分ころ,スピーカーから聞こえる胎児心拍音の異常に気付いたことが認められるが,上記のとおり,午前7時40分ころよりも前の時点から,変動一過性徐脈が生じ,持続・反復していたというべきであるから,F准看護師には,分娩監視義務違反が認められる。
ウ上記認定に対し,F准看護師は,午前6時15分から午前7時40分ころまでの間,ナースステーションにおいて,モニター及びスピーカーから聞こえる胎児心拍音を聴取することで分娩監視を行っており,分娩監視は適正に行われていたと供述する。しかし,F准看護師は,分娩監視と並行して,ナースステーションにおいて,午前6時30分ころから,新生児室における授乳業務に備え,調整されたミルクを温めたり,哺乳瓶に小分けする等のミルクの準備や,ナースコールの対応,ナースステーションに訪れた患者の対応にも当たっていたことが認められ,これらの別の作業に気をとられ,モニターの監視及びスピーカーから聞こえる胎児心拍音を注意深く聴取することがおろそかになっていた可能性が十分あり,記録もなされていないのであるから,上記F准看護師の供述を採用することはできない。
エ小括
したがって,午前6時15分ころから午前7時40分ころの間のある時点において,F准看護師の分娩監視義務違反が認められる。なお,原告らが主張する医師の注意義務違反については,医師が上申・相談を受けたことを前提とする主張であるから,原告らの主張はその前提を欠くものである。
4 争点(3)(因果関係の有無)について
(1) 上記認定のとおり,午前6時15分ころから午前7時40分ころの間のある時点における分娩監視義務違反が認められるところ,前記認定の診療経過及び医学的知見に基づき,同義務違反と本件後遺障害との間の因果関係について検討する。
(2) 証拠(甲B4,6)によれば,変動一過性徐脈の持続・反復が認められたとき,母体の体位変換,母体の酸素吸入,陣痛抑制,母体アシドーシスの補正等の処置を行った上,改善が認められない場合には,急速遂娩を行い,胎児の健康状態の維持を図ることが認められる。本件では,午前6時15分ころから午前7時40分ころの間のある時点において,変動一過性徐脈の持続・反復が認められたとき,F准看護師により分娩監視義務が尽くされていれば,その時点で医師に対する上申がなされるとともに,上記各処置が取られることになり,より早く低酸素状態の改善またはそれに対する処置が図られることになるから,変動一過性徐脈の持続・反復が認められた時点が午前7時40分に近い時点であった場合には,何らの後遺障害も残らなかったと認めることはできないものの,実際に生じた本件後遺障害の発生を防ぐことができた高度の蓋然性は認められるというべきである。
(3)アこれに対し,被告は,原告Aに生じた脳障害の部位からすると,原告Aには,何の前兆もなく,突如として急激なprofound asphyxiaが生じたのであり,profound asphyxiaによる脳障害は30分以内に完成し,帝王切開の開始から娩出まで少なくとも30分間は必要となるから,本件後遺障害の発生を回避することは不可能であったと主張する。しかし,前記2(2)認定のとおり,本件では,何の前兆もなく,突如としてprofound asphyxiaが生じたとは認められないから,被告の上記主張は,その前提を欠くものと言わざるを得ない。
イなお,被告が,profound asphyxiaによる脳障害は30分以内に完成すると主張する根拠は,サルを用いた動物実験の結果であるところ(乙B1),サルに対する実験結果が直ちに人間に該当するかどうか疑問が残ることは,前記2(2)判断のとおりである。
ウ したがって,被告の上記主張を直ちには採用しがたいというべきである。
(4) 小括
以上から,分娩監視義務違反と本件後遺障害の発生との間には,相当因果関係を認めることができる。もっとも,変動一過性徐脈の持続・反復が午前6時15分ころから午前7時40分ころの間のどの時点で発生したのかを認定できる証拠はなく,准看護師らが長時間にわたり変動一過性除脈の発生に気付かなかった可能性は低いので,午前7時40分に近い時点で変動一過性除脈が発生した可能性も十分あるといえる。そうであったとすれば,母体の体位変換,母体の酸素吸入などの処置を行い,改善が認められない場合に急速遂娩を行ったとしても,その間に一定の時間を要するので,本件よりも短時間のprofound asphyxiaが持続したことになり,その結果,本件よりは軽度とはいえ,原告Aに一定の後遺障害が残った可能性は高いというべきである。この点は,損害額の算定において考慮すべきことである。
5 争点(4)(損害)について
F准看護師には分娩監視を怠った過失が認められ,被告は,F准看護師の使用者として,使用者責任に基づき,原告らに対し,同過失と相当因果関係の認められる損害を賠償すべき責任を負う。以下,損害の範囲・額について検討する。
(1) 逸失利益
原告Aは,身体障害者3級及び第1種知的障害者に該当し,第1種知的障害者に該当することをもって,労働能力を100%喪失したと認められる。次に,原告Aは,第1種知的障害者の認定を平成16年2月12日に受けたところ,1歳になった平成12年9月の時点において,第1種知的障害者に該当する障害が残ったというべきである。分娩監視義務が尽くされたとしても,一定の後遺障害が残り,労働能力に影響した可能性があることを考慮して,平成12年の賃金センサスの産業計・企業規模計による女性労働者の平均年収349万8200円の75%の金額をもって,基礎収入とするのが相当である。また,労働能力喪失期間を49年とし,症状固定時が1歳であるから,そのライプニッツ係数は,7.927である。以上をもとに,逸失利益を算定すると,下記の計算式のとおり,2079万7673円となる。(計算式)3,498,200×0.75×7.927≒ 20,797,673
(2) 介護費用
前記認定の診療経過及び弁論の全趣旨に照らし,原告Aは,若干の動きは可能であるものの,基本的に介護を要する状態にあると認めることができ,1歳になった平成12年9月の時点において,その状態が固定したといえる。そして,原告Aの障害の程度等を考慮すると,1日あたりの介護費用は7500円とするのが相当である。また,平成12年簡易生命表による1歳女子の平均余命は約84年であることから,1歳時から83年間をもって介護を要する期間とするのが相当であり,中間利息の控除はライプニッツ係数を使用する。以上をもとに,介護費用を算定すると,下記の計算式のとおり,5123万4228円となる。(計算式)7,500×365×(19.6680−0.9523)≒ 51,234,228
(3) 原告Aの後遺障害慰謝料
原告Aは,身体障害者3級及び第1種知的障害者に該当する運動障害及び知的障害を負ったものであり,重度の障害により原告Aは,甚大な精神的苦痛を被ったと認めることができ,分娩監視義務が尽くされたとしても一定の後遺障害が残った可能性があること等本件に現れた全ての事情を考慮し,原告Aの後遺障害慰謝料として,2000万円を認めるのが相当である。
(4) 原告B及び原告Cの慰謝料
原告Aに生じた本件後遺障害の内容からみて,両親固有の慰謝料請求も認められるが,分娩監視義務が尽くされたとしても一定の後遺障害が残った可能性があること等本件に現れた全ての事情を考慮し,原告B及び原告Cの慰謝料として,各150万円を認めるのが相当である。
(5) 弁護士費用
原告らが本件訴訟の提起・遂行のため,弁護士である原告ら代理人に訴訟を委任したことは本件記録上明らかである。本件事案の内容,本訴の経緯等を総合すると,本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は,原告Aについて,650万円と認め,原告B及び原告Cについて,各12万円と認めるのが相当である。
6 結論
以上によれば,原告Aの請求は,不法行為に基づき,9853万1901円及びこれに対する平成11年9月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,原告B及び原告Cの請求は,不法行為に基づき,各162万円及びこれに対する上記同様の遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余の各請求は理由がないからこれを棄却し,主文のとおり判決する。

         名古屋地方裁判所民事第4部
                      裁判長裁判官 永 野 圧 彦
                         裁判官 伊 藤 孝 至
               裁判官田邊浩典は,転補のため署名押印することができない。
                      裁判長裁判官 永 野 圧 彦

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