本文へスキップ

下級審医療判例real estate

東京地判平13.9.20
                   主    文
1 被告は,原告aに対し,3897万9642円及びこれに対する平成12年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告bに対し,1948万9821円及びこれに対する平成12年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告cに対し,1948万9821円及びこれに対する平成12年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用は,これを5分し,その1を原告らの負担とし,その余は被告の負担とする。
6 この判決は,第1項から第3項までに限り,仮に執行することができる。
                   事実及び理由
(略)
第3 争点に対する判断
1 認定事実
(1) 前記前提事実,証拠(甲A3,B2,B6,B9,乙A1からA4まで,B1からB4まで,鑑定の結果,b本人,被告代表者)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア eの既往症
eは,糖尿病・高血圧の既往症があり,投薬等の治療を行っていた。また,本件の1か月前ころから,左肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)により,近所の接骨院で治療していたが,理学療法のみであり,あまり通院していなかった。
イ 被告病院での治療までの経過
(ア) eは,平成11年9月27日朝,起床後にうっという唸り声を上げ,胸が締め付けられるような症状があったが,病院等には行かなかった。
(イ) eは,平成11年9月29日,普段どおり出勤したが,iで打ち合わせ中の同日午後3時前に,気分が悪くなり,1回嘔吐するとともに,左肩の激痛を訴えたため,救急車が呼ばれた。
そして,同日午後3時10分ころ,救急車が到着し,その救急車には,知らせを受けて駆けつけたbも同乗した。
(ウ) eは,救急隊に対し,1か月位前から左肩の痛みがあり,会社近くの接骨院で五十肩と言われていたこと,仕事中に急に肩の痛みが激しくなったことなどを伝えた。
救急隊は,eの観察結果(意識が清明で,呼吸が毎分24回,脈拍が毎分72回であった。)及びeの申告に基づき,救急現場から最も近い整形外科である被告病院に搬送することとした。
そして,救急隊は,被告病院に対し,eの観察結果及びeの申告内容を伝え,受け入れ可能との回答を得た上で,eを被告病院に搬送した。
被告病院に搬送された時の,eの状態は,意識が清明で,呼吸が毎分18回,脈拍が毎分63回であって,酸素マスクはつけていなかった。
ウ 被告病院での治療
(ア) eは,同日午後3時30分ころ,ストレッチャーに横たわったまま,bに付き添われて,被告病院に到着した。
dは,待合室に出ていって,eの肩を触診し,左肩から左上肢にかけての激痛から,石灰沈着性肩関節周囲炎の他に,頚椎椎間板ヘルニアの可能性も考え,肩と頚椎のX線検査の指示を出した。
そして,eは,X線検査を受け,座った状態で診察の順番を待っていた。
(イ) X線写真ができあがると,eは歩いて診察室に入り,bも立ち会って,dによる診察を受けた。
診察の際,eの意識は,はっきりしており,dの問診に対し,1か月位前から五十肩で診察を受けていたことなどについて,eが自ら答えた。
診察の結果,dは,eには,左肩を中心として,左肩から左上肢に放散する激痛があり,発汗の症状もあることを確認した。また,dは,救急隊の通報により,eが嘔吐したことも知っていた。
(ウ) dは,肩関節に中程度の関節拘縮がみられることなどから,eに肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)があることは確かであると判断した。
しかし,X線写真の所見では,左肩関節に石灰の沈着が見られなかったことから,肩関節周囲炎の中でも,突発的な激痛を生じることがある石灰沈着性肩関節周囲炎ではないと判断した。
その上で,dは,突発的に肩の激痛が生じる疾患で,石灰沈着性肩関節周囲炎以外に可能性があるものとして,頚椎椎間板ヘルニアの可能性を考えた。
しかし,X線写真の所見,スパーリングテスト(椎間孔圧迫テスト。頚椎を患側に屈曲させ,患側の肩や腕に疼痛が増強・出現するかを観察するテスト)によっても,頚椎椎間板ヘルニアであると断定できず,神経学的にも異常がないことから,カルテには,頚椎椎間板ヘルニアより広い診断名として,頚椎椎間板症と記載した。
(エ) dは,eに対し,肩関節周囲炎の治療として,ハリソン(関節の動きを改善する薬)・プロカイン(局所麻酔剤)・ケナコルト(関節の炎症をとる薬)を左肩に関節注射し,左肩を三角巾で固定した。
また,dは,飲み薬として,ロキソマリン(痛み止め薬)・ニコラーゼ(炎症をとる薬)・AM散(胃薬)を,座薬として,ボルタレン(痛み止め薬)を処方した。
(オ) 診察が終わるとき,bが,dに対し,もう帰ってよいのか確認したところ,dは,痛むようなら来週来院するようにと指示した。
エ 被告病院での治療後の状況
(ア) eは,乗用車に乗り,iの社員が届けてくれた眼鏡をgで受け取ってから,帰宅した。その間,eは,乗用車の後部座席でぐったりしており,眼鏡も同乗していたgの社員に取りに行ってもらった。
(イ) eの左肩の痛みの状況は,被告病院での治療の前後でほとんど変わらず,帰宅して飲み薬を服用した後も,痛みを訴え続け,アイスノンで背部を冷やすなどしていた。
同日午後7時ころ,aが帰宅したが,eは,胸から肩にかけて発熱しており,あまりの激痛に,aに対し,「肩を切り落として欲しい。」と述べるなどしていた。
(ウ) そのうち,同日午後10時ころ,eは,いつもかく大きないびきをかいて眠り始めた。
そして,翌日午前0時ころ,eは,「うっ」という唸り声を上げて,目を開き意識を失ったため,救急車でj病院に搬送されたが,同日午前1時46分死亡した。
オ 急性心筋梗塞について(甲B2,B9,鑑定の結果)
(ア) 急性心筋梗塞の症状
前胸部にかきむしられるような激しい痛み,又は締め付けられるような痛みが安静時や軽労作時に突然出現する。また,背部や心窩部に痛みを訴えることもある。下壁梗塞では,悪心・嘔吐が主症状のことがあり,老人や糖尿病患者では,呼吸困難で発症することがある。
冷汗,顔面蒼白,四肢冷感,悪心,嘔吐などのショック症状を伴うことが多く,精神的に不安状態に陥ることが多い。また,左心機能低下による呼吸困難などの心不全症状も伴う。
(イ) 急性心筋梗塞の診断
大部分の急性心筋梗塞は自覚症状,心電図所見(不整脈,ST上昇等),血液検査結果(心筋逸脱酵素上昇等)から容易に診断される。以上の所見がすべてそろっていなくても2つあれば,心筋梗塞と考えてよい。中には,診断の判定に困ることがあり,疑いが強い場合には集中治療室に収容することが望ましい。
(ウ) 急性心筋梗塞の治療
a 急性心筋梗塞又はその疑いがある場合には,集中治療室に収容する。移送の前に,血管確保,酸素吸入,鎮痛剤・鎮静剤投与等を行う。不整脈,心不全,ショックを伴っていれば,これに対する基本的治療を行った後,呼吸状態,血圧,脈拍などのバイタルサインが比較的安定したところで移送を開始する。
b 急性心筋梗塞に対しては,集中治療室において,血栓溶解薬や経皮的冠動脈形成術等による再灌流療法などが行われる。
カ 頚椎椎間板ヘルニアについて(乙B2からB4まで,被告代表者)
(ア) 頚椎椎間板ヘルニアの症状
頚椎椎間板ヘルニアは,小外傷又は不良姿勢の後などに,頚・肩・腕に急性の激痛が生じさせることが多い。また,頚部の運動に伴う上肢への放散痛,しびれ感を伴う。
(イ) 頚椎椎間板ヘルニアの診断
頚椎椎間板ヘルニアは,自覚症状の観察やスパーリングテストなどに加えて,X線検査,MRI検査,CT検査,脊髄造影(ミエログラフィー)などにより診断される。また,X線写真では正常像であっても,MRI検査により頚椎椎間板ヘルニアが発見される場合がある。
(ウ) 頚椎椎間板ヘルニアの治療
頚椎椎間板ヘルニアについては,保存的療法が基本であり,その他に,硬膜外ブロック療法や手術的療法も存在する。
キ eの急性心筋梗塞の発症時期及び死亡に至る経過(甲A3,B9,鑑定の結果)
(ア) eの剖検所見,事実経過に照らすと,eは,平成11年9月29日午後3時前に肩部痛が生じた時点で,急性心筋梗塞を発症していた蓋然性が極めて高い。2日前の同月27日朝の胸部痛は,心筋梗塞発症前の不安定狭心症であったと考えられる。   
(イ) eは,平成11年9月29日午後3時前,急性心筋梗塞を発症した後,冠動脈閉塞による心筋壊死が進行し,心内圧による負担に耐えられなくなり,翌日午前0時ころ,心破裂を起こして,死に至ったと推認される。
2 判断
(1) 争点(1)(本件診療契約に基づく被告の義務違反の有無及び義務違反についての過失の有無)について
前記前提事実,同認定事実,証拠(各認定事実の後に掲げる。)及び弁論の全趣旨に基づき,上記争点について検討する。
ア 前記認定事実によれば,dは,少なくとも,eは突発的な左肩から左上肢へかけての強い放散痛を訴え,発汗・嘔吐の症状を示していたことを認識していたことが認められる。
なお,原告らは,eは肩部のみでなく胸部・背部の痛みも訴えており,呼吸困難や大量の発汗などの症状を示していたと主張し,それに副うbの陳述書(甲B6)及び供述(b本人)が存在する。しかし,前記認定事実及び証拠(乙A3,A4,b本人,被告代表者)によれば,eが救急車で搬送された時点において,eの意識は清明で,呼吸・脈拍も正常な範囲であったこと,救急隊は,eの観察結果及び申告内容から判断して,eを内科ではなく整形外科に搬送したこと,dがeを診察したときも,eの意識は清明で,dの問診に対し自ら答えていたこと,bは,dの関心がeの左肩に限られていることを認識しながら,あえて胸部や背部の痛みを訴えたりはしていないことなどが認められることからすれば,eが明確に胸部・背部の痛みを訴え,呼吸困難の症状を示していたとまでは認められない。
また,dは,eから,肩関節周囲炎で治療中であることは告げられたが,急性心筋梗塞にとってハイリスクである糖尿病・高血圧の既往症や本件の2日前である平成11年9月27日朝に胸が締め付けられるような症状があったことを告げられていないことも認められる(前記認定事実,乙A4,被告代表者)。
そして,eが示していた嘔吐・発汗という症状は,急性心筋梗塞に特有な症状ではなく,激痛が生じた場合などに一般的に見られる症状である(乙A4,被告代表者)。また,eが示した肩から上肢にかけての突発的な放散痛という症状は,急性心筋梗塞のみでなく,頚椎椎間板ヘルニアにも合致する症状である(前記認定事実)。したがって,dが認識し得た前記アのeの症状や告知内容に照らすと,eについて,まず第一に急性心筋梗塞を疑うような状況であったとまではいえない。
イ しかし,dは,eの症状に該当する整形外科の病気としては,石灰沈着性肩関節周囲炎と頚椎椎間板ヘルニア以外には考えられないところ(被告代表者),石灰沈着性肩関節周囲炎はX線検査の結果否定され,頚椎椎間板ヘルニアについても,X線検査及びスパーリングテストでは頚椎椎間板ヘルニアであることを窺わせるような結果は出ず,したがって,頚椎椎間板症という病名を付することしかできなかった(前記認定事実)にもかかわらず,その治療によっても症状の消失しないeをそのまま帰宅させたものである(前記前提事実及び認定事実,b本人)。
一般に,診療契約上,医師は常に確定的な診断をすべきものであるとまではいえないが,本件において,eは,突発的な激痛を発症して被告病院に救急車で搬入されたものであり,eを症状の消失しないまま帰宅させるのであれば,被告としては,生命に関わるような重大な疾患ではないと断定できるだけの十分な検査をしたうえで,確実な診断を下すべき本件診療契約上の義務を負っていたものというべきである。
そして,急性心筋梗塞の患者が肩部痛と感じて整形外科を受診することはまれではなく,さらに,eの示していた左肩から左上肢に放散する激痛という症状は,急性心筋梗塞に比較的典型的な症状である(甲B9,鑑定の結果)ことから考えると,整形外科医であるd(本件診療契約の被告の履行補助者)としても,同医師の実施した検査結果からは,eの症状に該当する整形外科の病気であるとの診断がつかない以上,整形外科の病気以外の病気,すなわち,急性心筋梗塞の可能性も疑ってみるべきであり,被告病院において少なくとも心電図検査は可能であった(被告代表者)のであるから,心電図検査を実施すべきであったというべきである。
また,dがX線検査及びスパーリングテストの結果にもかかわらず,なお頚椎椎間板ヘルニアの可能性が高いと判断したのであれば,dの検査の結果からは頚椎椎間板ヘルニアであることを窺わせるものは何もないのであるから,その診断に必要なMRI検査を実施すべきであり,被告病院にはMRI検査に必要な装置がなければ(被告代表者),同装置を備えた他の病院にeのMRI検査を依頼すべきであったというべきである(eが被告病院に搬入されたときの状態では,約30分間の静止が必要なMRI検査は困難であったとしても,その後のeの行動から考えて,痛み止め等の治療によってMRI検査を受けられる状態にはなったものと推認される。)。
dがeについて心電図検査を実施していれば,急性心筋梗塞であることが判明したものと推認されるし,MRI検査を依頼しても,頚椎椎間板ヘルニアの診断がつかなければ,やはり急性心筋梗塞を疑って心電図検査を実施し,急性心筋梗塞であることが判明したものと推認され(前記認定事実,甲B9,被告代表者),dがeについて,急性心筋梗塞と診断し,eを集中治療室のある病院に移送していれば,適切な治療を施すことができ,eは,8割から9割の確率で死を免れた可能性があると認められる(前記認定事実,甲B9,鑑定の結果)。
したがって,dがeについて,十分な検査をせず,確実な診断を下すことなくeを帰宅させたことは,被告として本件診療契約上の義務を履行しなかったもの,すなわち債務不履行に該当するものというべきであり,d(履行補助者)ひいては被告の過失を否定することはできない。
また,前記のとおり,eは,被告の債務不履行がなければ,死を免れた可能性が極めて高く,eが意識を喪失したのは,dの診察の約8時間後であることを考慮すると,被告の債務不履行とeの死亡との間には相当因果関係が認められるので,被告は,eの死亡の結果について,損害賠償義務を負うものというべきである。
なお,eは,dによる診察の際,肩関節周囲炎で治療中であることは告げたが,急性心筋梗塞にとってハイリスクである糖尿病・高血圧の既往症や本件の2日前の朝に胸が締め付けられるような症状があったことを告げていないことは前記のとおりであるが,eが自分の症状と心臓疾患との関連性に気付き,自主的にそのような既往症の告知をすることを期待することはできず,このことは,慰謝料の算定の際に考慮される事情とはなることはあっても,過失相殺の対象となる過失とまでは認められない。
(2) 争点(2)(損害)について
ア eの死亡による損害
(ア) 診察費(甲C1)      7万0340円
(イ) 逸失利益       4988万8944円
eが死亡する前年である平成10年のeの年収は840万円であり(甲C2),eは,死亡時満53歳であった(前記認定事実)。生活費控除率は40パーセントが相当と認められるので,これを前提に計算すると,eの逸失利益は,840万円×(1−0.4)×9.8986(就労可能年数14年に見合うライプニッツ係数)=4988万8944円となる。
(ウ) 慰謝料        2200万円
本件事案の性質,eの年齢・家族環境等を考慮すれば,死亡による慰謝料は,2200万円とするのが相当である。
(エ) 弁護士費用
弁護士費用は,eの死亡と相当因果関係のある損害が,本件訴訟提起によって顕在化したものとして,eの死亡による損害と同視でき,原告らの主張も,e自身の損害として請求する趣旨を含むと解することができる。
そして,本件事案の内容,本判決による認容額等の諸般の事情に照らせば,弁護士費用は,600万円が相当である。
(オ) 合計損害額      7795万9284円
イ 相続関係
aは,eの死亡により,eの損害賠償請求権を3897万9642円,b及びcはいずれも1948万9821円ずつ相続した。
ウ 固有の慰謝料及び葬儀費用
本件診療契約の当事者でない原告らが,被告の債務不履行により固有の慰謝料請求権を取得すると解することはできず,同様に,aが出捐した葬儀費用について,同原告が固有の損害賠償請求権を取得すると解することもできないので,原告らのこれらの請求は認められない。
エ 遅延損害金について
本件診療契約の債務不履行に基づく損害賠償債務は期限の定めのない債務であるから,被告の原告らに対する損害賠償債務は,本件訴状の送達日の翌日である平成12年5月26日から履行遅滞に陥ったものと認められる。
3 結論
よって,原告らの各請求は,aにつき3897万9642円,b及びcにつき各1948万9821円,並びに各金員に対する平成12年5月26日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからいずれも棄却し,主文のとおり判決する。

                 東京地方裁判所民事30部       
                       裁判長裁判官 福田 剛久          
                          裁判官 新谷 晋司          
                          裁判官 馬場 俊宏

ナビゲーション